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高松高等裁判所 昭和28年(ネ)459号 判決

控訴人 清家民子

被控訴人 今松里子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決を取消す、被控訴人の請求はこれを棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする旨の判決を求め。被控訴代理人は控訴を棄却する旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、それぞれ左のとおり補正した外孰れも原判決摘示の事実と同じであるから茲にこれを引用する。

被控訴人において「しかも本件の養子縁組届出書は、養母たるべき被控訴人里子の意思に基かずして同人不知の間にその夫たる養父定運が被控訴人を養母たるが如く表示して届出でたものである、だから尠くとも被控訴人里子においては、控訴人と養子縁組をするの意思が存しないことが明らかである、ところで配偶者ある者は、その配偶者とともにするにあらざれば縁組をすることができないのであるからその養母たる被控訴人に縁組をする意思がない限り仮令他方養父定運に縁組をする意思があつたとしても該縁組は無効である。」と補述した。

控訴人において「被控訴人の本件養子縁組の無効主張はその配偶者たる夫今松定運の関係においても合一に確定することを要する場合であり所謂必要的共同訴訟である、だから被控訴人単独提訴にかかる本訴はこれを却下されるべきである。縁組当時養父の定運は五十才、養母の被控訴人は四十六才であり養子の控訴人は二十四才であるから孰れも思慮分別に富み互に養子縁組の何たるかを認識して届出でたこと明らかである、従つてそれに養父子関係を生ぜしめる意思がないというが如きことはあり得ないことである。控訴人の生家たる門田家は天正以来継続し宇和島藩の町庄屋であるし父重吉の父(控訴人の祖父)は泉村における旧里正なる赤松家(被控訴人の生家)の出であり右重吉の母(控訴人の祖母)は宇和島における所謂御三家の一たる本家石崎の娘である、又重吉の姉ヌイは被控訴人の夫定運の母でもあること等今松家に比しその家門、家格において優れるとも劣るものではないし控訴人の縁談当時その夫清家信次方において控訴人が今松家の養女たることを要望したようなこともなかつたのであるから控訴人の縁談のために殊更ら今松家に入籍させて家格をつくる要はなかつたのである、しかも控訴人は右清家信次と結婚後においても養父母の定運、被控訴人等との間において互に父、母として、子として往復通信し、かつ季節毎に贈答も怠らない等綿々たる親子の情、啻ならぬものがあり又昭和二十七年二月執り行われた定運の実母ヌイ並びに同年十月執り行われた定運の各葬儀の際孰れも最近親として、はたまた子として遇せられかつ故人の遺品等をも贈られている等養親子の関係を維持存続せしめているのである。要するに本件の縁組は、真に親子関係を設定する意思をもつてなされたのであるが当時の法制たる家督相続制のものとにおいて控訴人の如く他家に入りたる者は、家督相続権を有しなかつたから何等問題を惹起するようなことはなかつたのであるけれども家督相続制廃止され遺産相続制となつてから後右定運死亡により開始した相続においては控訴人が重要なる相続人となるに至つた、ところで若し縁組が無効となれば、右定運の配偶者たる被控訴人並びに弟たる訴外今松治郎、今松三郎において相続人として大なる利益を受けることとなるので殊更ら右縁組の無効を主張する事情にあるのであるから本訴請求は失当である。」と補述した。

〈立証省略〉

理由

先づ被控訴人が本件訴について当事者たる適格を有するかどうかについて審究するに、

被控訴人主張の如く本件は養父母を定運及び被控訴人として養子を控訴人とする養子縁組の無効確認を求める訴であるがかかる訴にあつては以上三者は最も緊密なる利害関係者として当該訴訟に関し養父母対養子として相対立関与することを至当とするけれども右養父母何れか一方の死後においては生存する一方の者と養子との間において尚養親子関係不存在確定の利益がある以上これが訴を提起し得るものと解さなければならない、ところで弁論の全趣旨に徴し養親の一方たる右定運の死後被控訴人との間において右養子縁組の無効について争いがあつて現にこれが確定を求むる利益の存することが明らかである、又人事訴訟手続法は身分関係の合真実の確定のため、その訴訟当事者としての適格者の死亡の場合において、これが訴の提起並びに遂行に関し種々の配慮をしている点(人訴法第二条第二六条第三〇条第三二条参照)から考えてこれが単独の訴を認むる趣旨であることを窺知し得るし本件の如き養子縁組無効確認の訴は、人訴法上の各規定を類推適用すべきものである、そうだとすれば、被控訴人単独で本訴を提起しても当事者たる適格を欠くものとはいえないからこの点に関する控訴人の主張は理由がない。

次ぎにその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したるものと認められるから公文書と推定されるし当事者間において成立に争いのないものでもある甲第一、二、三号証原当審における被控訴本人の供述によると、被控訴人が訴外今松定運と大正五年十一月二十一日婚姻したこと、訴外定運及び被控訴人(養親)において昭和十八年六月五日愛媛県北宇和郡二名村長に対し控訴人を養子とする旨養子縁組の届出がなされていること、訴外定運が昭和二十七年十月四日死亡したことを確認できる。

被控訴人において右養子縁組届は、当事者双方又は尠くとも被控訴人において真に養親子関係を生ぜしめる意思がないに拘らずなされたものであると主張するので審究するに、前示甲第一、二、三号証、原審証人今松治郎、朝家シズヱの各証言により成立を認められる甲第五号証、原審証人兵頭幹雄、堺定美の各証言により成立を認められるし、当事者間にも成立に争いのない甲第六号証当審証人門田重吉(第一回)の証言により成立を認められるし当事者間にも成立に争いのない甲第十三号証の一、二、当審証人今松治郎、河野次郎の各証言により成立を認められる甲第十四、十五号証の各一、二、三当審証人清家信次の証言により成立を認められるし当事者間にも成立に争いのない乙第十四、十五号証の各一乃至五第十八号証、原、当審証人兵頭幹雄、今松治郎、今松三郎、高山晃一郎、原審証人松本雅男、近森汎、堺定美、赤松マツノ、朝家シズヱ、合屋八重乃、三谷良二、久野真治及び当審証人清家トメヲ、今松房子、栃木惣市、河野次郎の各証言、原当審における被控訴本人の各供述を綜合し原審証人西本伊勢蔵、清家テイ及び原当審証人清家信次、門田重吉(各第一、二回とも)の各証言の各一部並びに原審における控訴本人の供述の一部をも綜合勘案すれば、前示訴外定運は、被控訴人と婚姻以来死亡に至るまでその間に所謂子宝を恵まれなかつたものであること、ところで右定運の父訴外佐一郎及び母訴外ヌイにおいて大正十二、三年頃母ヌイの生家たる訴外門田重吉の妻冬子が大阪の病院に入院治療しなければならなくなつた際幼少で世話の要る長女の控訴人を引取り養育し始めたところ右冬子が終いに失明し程なく死亡するに至り、しかも間もなく右重吉の迎えた後妻が家族と円満にゆかないので斯様な家庭に戻すに忍びずその後も引続き養育を続けていたため控訴人は事実上今松方、主として右ヌイにより養育されて成人し小学校次いで女学校をも卒えるに至つたものに過ぎす養子として又将来養子とする意図の下に養育されたものでないことしかもその間大正十三年八月頃前記佐一郎発病の際、控訴人の父訴外門田重吉において右佐一郎より財産分配の依頼をされたと云い出したが程なくそれが不実であること判然し以来前記定運は、右門田重吉の性行に不安恐怖を抱き同人と接触の生ずるようなことを極度に嫌厭するに至つていた、だから親戚、知友等より屡次控訴人を養子とするよう勧められたのに対しても上叙性行の如き重吉の娘である控訴人を養子とする意思は全然ない、だが永年養育し可愛いゝから自分の方で嫁入りさせてやりたい旨の意思を明らかにしていたこと、それ故昭和十七年八月二十六日弟訴外赤松三郎の次男泰二郎と養子縁組をしてこれを迎え養育をするようになり右の意思を実現するに至つたこと、然るところ当時控訴人も結婚適令期であり縁談もあつたのであるが前記控訴人の父重吉は同人に対する債権者らの申立により昭和十二年頃破産の宣告を受け次いで十ケ年の分割払いとする条件で強制和議可決成立したけれどもそれも履行をしないので債権者より強制執行をされている等の状況であつて世間の信用全くないため折角の縁談も右重吉の娘としてでは成立するに至らず、そのようなことが二、三に止まらなかつたので控訴人の縁談について尽力していた訴外赤松兵三郎(控訴人の父重吉の妹ヨシの夫)夫婦から前示定運に対し控訴人を一旦今松家の籍に入れ今松の娘という形にすれば縁談も纒るであろうから戸籍面だけ今松の娘のようにしてくれと懇請され又定運も前記の如き意思であつたからそれを尤もだとし戸籍面だけ形式的に養子としたようにする趣旨で昭和十八年六月五日前認定の如き養子縁組の届出をするに至つたこと及びだから程なく始まつた訴外清家信次との縁談も右赤松夫婦の尽力もあり旁々順調に進行成立し早くも翌二十九年二月十一日結婚式を挙げ同棲をし同年六月一日婚姻の届出をするに至つたこと、斯様な実情経過であるから該結婚の婚嫁先きに対し右定運及び被控訴人は形式上控訴人の父、母と称したけれども今松家関係においては真実養女としたものでないから右結婚の際古来から一般の慣習として実家でなされる親戚、近隣の者等を招待し挨拶をする所謂門出の式の如きも行わなかつたし前記ヌイ死亡による葬儀に際しても近親からの順による焼香に養女たる如き近親者として遇しなかつた(定運葬儀の際も亦同様)こと等窺知されるとともに右定運は、性頑固にして独断専行の所為少からず配偶者たる被控訴人の意を徴することなく独断で叙上趣旨の如く養子の形式を整えること乃至はそのためこれが縁組届出をすることを承認専行し又その他の所為をして来たものであることをも窺われる、従つて例へば、甲第七八号証、乙第一乃至四、八号証の各一、二第五、六、九、十、十二、十三、十七号証等前認定結婚後右定運並びに被控訴人と控訴人並びにその夫訴外清家信次との間における通信に、定運、被控訴人を父、母と表示されしかも金品並びに葬儀の写真遺品マージヤン等を被控訴人から控訴人に送付する等その間情義の濃やかなもののあることを推測できるような記載があり、又乙第十六号証の定運死亡の際の会葬御礼広告に親族総代清家信次なる記載があるけれども前認定の如き形式により結婚したこと及び二十余年間も今松方にて養育され従つて自然その間情義も濃やかであつたことを推認できる(当審における被控訴本人の供述でも認められる)情況のもとにあつたこと等に徴し右認定を妨げる特別な情況とすることはできない乙第十一号証の一、二も前認定赤松兵三郎夫婦の前認定の如き控訴人の結婚に関し尽力したことが認められるに過ぎない又乙第二十号の一乃至六の如く訴外門田重吉が大正五年頃から昭和二年頃までの間に近親の間柄にある数名に対し金員の貸付けをしたようなことがあつたとしても前認定の如き破産の宣告を受けた等の如きことによる対世間的不信用を認定するの妨げとならない、尚又右認定の趣旨に反する前示証人西本伊勢蔵、清家テイ、清家信次、門田重吉の各証言部分及び控訴本人の供述部分は孰れもたやすく信用し難く他に右の認定を覆すに足るような証拠はない。

又甲第十二号証も当審証人今松治郎の証言によれば、定運死亡により戸籍記載の形式上控訴人が相続権を有することになるので控訴人が単にそれを抛棄するとしたことの申合せを記載したものに過ぎず控訴人の養子関係を認め乃至は養子縁組の追認をしたものでないことが明らかであるから叙上認定の妨げとならない。

右認定の諸事実によれば、被控訴人には形式的にもせよ控訴人を養子とすることは勿論そのため養子縁組届出をするの意思が存しなかつたものと云うべきである、だから配偶者があればそれとともにするにあらざれば縁組をすることができない養子縁組においては当事者の一方の一人たる被控訴人に存する右の如き事由により配偶者定運の意思如何に拘らず全体として無効とすべきものであると解すべきである、のみならず右定運において、縁組の届出をする意思がありそして届出を完了したとするもそれは控訴人の婚姻を成立させるための方便として形式的に仮託されたものに過ぎず真に養親子関係を生ぜしめる意思でなかつた(叙上の如く被控訴人も勿論)ものであることが明らかであるから該縁組は無効である、そして右の無効は絶対的のものである。

しかして前説明の如く人事訴訟手続法は身分関係の合真実の確定のため訴の併合並びに変更等につき寛大なる扱いをする反面民事訴訟法における自白に関する法則認諾、疑制自白並びにこれに類する規定等は適用せずしかも職権で証拠調をしかつ当事者が提出せざる事実をも斟酌することができるとしているし判決は第三者に対してもその効力を有するものとしているのであること及び本訴の如き確認請求事件には右人事訴訟手続法上の各規定が適用されること等に徴せば、本訴の如く被控訴人名義をもつて先きになされた縁組届出につき自ら更にその無効を主張することは、むしろ前示身分関係の合真実の確定のため相手方はもとより第三者においてもそれに忍従しなければならないこととなるのであり民法第一条の趣旨に背反するものでない、故に本訴請求を権利濫用でありとする控訴人の抗弁に理由がない。

又控訴人は、被控訴人が亡定運と控訴人との間の縁組無効をも主張するが如きは、不当であると抗弁するけれども上来の説明に明らかなように養子縁組は、その当事者の全体につき有効か無効かが合一に確定されなければならないのである、だから本件縁組関係における当事者の一方たる養親につき配偶者がありその一人が死亡したので該死亡者を含め養親たる被控訴人と養子たる控訴人との養子縁組当事者の全体につき該縁組無効の確定を求めるものであり単なる死者と控訴人との間に養子縁組関係の不存在確認を求めるものとは異なるから何等不当でない。

以上判示のとおりであるからこれと同趣旨に出でた原判決は相当である故に民事訴訟法第三百八十四条第九十五条第八十九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 前田寛 太田元 岩口守夫)

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